@天国の音楽

いつもsoulで繋がっている詩人の友人が“あれ、密かに楽しみにしている”と言ってくれた。だからもう少し続ける。タイトルを少し変えて。天国の音楽。天国に行くための音楽。地上から天を仰ぐ音楽を。探しに行く。

C-Style >電気グルーヴ>シャングリラ

C-Style >電気グルーヴ>シャングリラ>https://youtu.be/tRfqWOOmNXk

 


人間ってのは深いもんで、例えば妄想がその人の中にあるものからしか出てこないカタチでしかないと知って触れてみると、こんなにも色々な発想を、つなげてニンシキできるもんだな、と、感心したりする。精神科で一応専門職として働いてるとそういう場数は多く踏む。

 


なおかつ僕は“依存症”と呼ばれるジャンルのビョーキの人と関わる現場にいるので、なんで人は物質や行為に拘ってしまうのか、それはどう“成り行くのか”とか、その人達は、どんなふうに考えているのか、みたいな事を、考え続けている。

 

だから、ピエール瀧氏には拘っていく。で、今言いたいのはまた別の事。


およそ全ての芸術ってか、表現が“人間”の探求、だとしたら、生み出されたものを”善きもの””悪いもの”と選別し、捌き、禁止することは、宗教や、為政者の業であって、限定された一つの見方でしかない。

 


社会の中で、繋がりで(それは主に経済的な繋がり)生きておるものとして“そんなの知ったことか”とは言えないけれど、人間探求を職業的にも、個人として人の表現に囚われている者としても、追い求めてしまう事をやめられない僕は、すべからく、すべての、検閲みたいなものに、反対する。

 

「あの曲が、聴きたい。自分の中に確かにすまわっているんだ」


そういうわけで、電グルをここで取り上げた。今回は意図的。つまらん話かもしれんが、あえて、持ってきてみた。

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