@天国の音楽

いつもsoulで繋がっている詩人の友人が“あれ、密かに楽しみにしている”と言ってくれた。だからもう少し続ける。タイトルを少し変えて。天国の音楽。天国に行くための音楽。地上から天を仰ぐ音楽を。探しに行く。

大橋純子

寄る辺なき道を走るわけ>大橋純子>黄昏マイラブ> https://youtu.be/42qbdaMULwo

歌うこと、表現することってのは恐ろしいことで、例えば“悲しみ”(ほんとうのってつけようか?)は「何かを完全に失ったことだ」とわかることなんだと、知ってしまう。

最もケモノの感覚でソウルミュージックをわかり得ている田島貴男さんが、この曲をカバーしてる動画を見た。https://youtu.be/qA46K7EQacY

僕はこの人のちっとも愛さないくせして、愛されたいと願ってるような様が、とんでもなく身につまされるような気がしてならないんだけど。

いや、愛さないんじゃなくて、やり方知らないからできないんだけど、ちょうどいい感じが。

だから今言いたいのは憐憫にのたうつ歌い手への苦しいほどの共感なのかもしれないけど。

で、ふと思って、もとの大橋さんの動画を観てみたらとんでもないことになっていた。

阿久悠の歌詞は「あなたを失っていくプロセス」を季節の変化にのせてキッチリと描いているんだとわかったんだ。

大橋純子が歌うのを聴いて、こそ。

想像だけど、自己憐憫に持って行かせない表現の巧さを持っているんだと思う。いや、田島くんがどうこうじゃないんだけど。

この歌が歌謡曲としてあれだけみんなに受け入れられたのは、愛する相手を失うことを再現して、自分の記憶を再構築できるほどの技量を、大橋純子が持っていたからなんだろうな。

それは、悲しみの中で、人を癒したりしたことなんじゃないかと。思うんだ。

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