魔性のパティ
N.C.O.P. #デレクアンドドミノス #愛しのレイラ
https://youtu.be/3n92zksrhbc
クラプトンはレイラを演奏するとき、どんな気持ちだったんだろう。ペルシャの詩人の詩にかこつけてるけど、レイラはパティボイドだし、ジョージの妻だった頃の不倫略奪の宣言みたいなもんで、結果一緒になるわけで純愛のテーマソングみたいになってるけど、アル中薬中でその結婚生活も続かなかったって、みんな知ってる中で何度も何度も。アンプラグドヴァージョンもあるし、武道館ライブじゃ、一曲目だったし、聴衆が求める名曲。いやその成り立ちのトリビアから言っても、なんだかもう、いいんじゃないかと思いそうなもんだけど。曲は曲ってことなのか。つまりは、曲って、生まれた時のパッションと演奏する段になれば違うエモーション、これでいいのかな。いいんだよな。何をこだわってるのか。ええと、自分、このまた長すぎる後奏というか、デュアンオールマンのぴえんぴえん鳴り響くギターとジムゴードンの“清らかに天に登ってくような”ピアノが好きなんだが、スコセッシの映画でこの部分だけが使われていたの、思い出すな。いや、終わり=破滅の予感の前の刹那って、文学じゃん。なんて、呑気な破滅願望。最近は疲れが頭の芯まできてるようで、殊更染みるな「自分、全てを捧げる」と、言い切った一世一代の大見得求愛ソング。それ、クラプトンにとっちゃ、結果がどうであれ、いい、思い出なんだろうな。その時の自分があるから、いまここで生きてるって、ちょっと悪くない気分なんだろうな、とも思ってみる。知らんけど、さ。