魔性の曲
Why walk on the wild sid>斉藤由貴>卒業> https://youtu.be/oSqTaVzqPIk
筒美京平氏がお亡くなりになって、昭和、平成、令和の歌舞謡曲に親しんできた自分としては何かしら感謝と哀悼の意、そして御同輩に”自分が最も親しんだが筒美歌謡“を弔いの意味で申し上げたい。と思う次第。あんな曲、こんな曲。シングルのみならず、いわゆるニューミュージック、日本のシティーポップスのパイオニアがアルバムの中に忍ばせた筒美京平作曲のそんな曲。作品は3000を超えるそうでイヤハヤ。BS12で絶賛放送中の『カセットテープミュージック』を楽しみに拝見しているような同志には「あの回からか」とバレバレな選曲と見透かされようとも、自分のナンバーワン筒美歌謡はこれ。
斉藤由貴さんのデビュー曲 卒業
アレンジャーの武部聡志氏は筒美京平氏の内弟子みたいな方で、この頃の京平様は作曲の中にアレンジも想定していたところに武部氏があの“イントロ”と“まるでユーフォニュームのような包容力“のピアニカの間奏、でポスト京平としておすみついた、という、、、いや、想像なんやけど。
斉藤由貴の『卒業』で表現されているのは、女性は鼻で笑うかもしれないけれど男性から見た理想の女性像 byマキタ氏→これはネットで拾った。
すごいなあ、サビでの天高く舞い上がるメロデイーと歌い切る斉藤さん
鼻で笑われながらも、この世界に身を委ねたアオハルの日々の甘酸っぱい想いリメンバー。
同時代を生きた証。筒美歌謡の最高傑作。偉大なるコンポーザー。
ああ、忘れちゃいけない。
筒美京平さん、あなたの人生に祝福された何十年でした。ありがとう。幸せを。
ライブ
https://youtu.be/wu6FAIrkpAQ
ヘイ!バンガロービル
Why walk on the wild sid>佐野元春>ニューエイジ>https://youtu.be/Q3qq9-g8pUM
自助グループに当事者じゃない僕(=ただ看護師であるってだけの)が通ってるのは 言葉が、正直に誠意を持って絞り出されてる場所だと知ってしまったから。少なくともそういう気持ちを持っていることが、当たり前の空気だから、あの場所は。安全と安心に満ちているから。
語られるのは過去の自分、と交通しているすぐそばの人。
そしてみんな、今、とっても不確かで脆いとこにいて、
明日をもしれない事をわかっている。
いつもみたいに断酒会で感謝とエールを言葉にして、独りの家に戻る。
そうして佐野さんがsongsで歌うのを観た。
ドキッとしたんだ。
🎶誰もわかってくれない
誰も気付いてくれない
でも今夜は闇をくぐって小舟を漕ぎ出したい
That's meaning of life
“人生の意味“
そんなことをかんがえる、話す、聴くことって
あんまりなかったから。
アディクツと呼ばれながら、小さく集い、時間を重ねた、
静けさと謙虚さを備えた、魅力的としか言えない人たちに、こうして、逢うまでは。
世界は平和に
Why walk on the wild sid> ジョニー・ナッシュ>I Can See Clearly Now> https://youtu.be/V_p0XE28t94
ジョニナッシュが80歳で亡くなったと聞いた。盟友、ボブマーリーは生きていればいくつなんだろう(75歳くらいだと判明、ググった)
ぼくらパンクムーブメントから、レゲエ、ロックステディ、ラヴァーズロックとかいう“ずっと聴いていると不思議な身体精神の変化を及ぼす”危ない音楽を知ったものはまた、遡って、「ストラマーがリスペクトしているものをまたリスペクトする」というマナーを守るいい子ちゃんでもあったりした。だからこの曲がウエイラーズだと言いふらしていい気分だったりして。ああ、青春。燃える陽炎のような日々。
まったく、この感じを忘れてるんだよ、頭打たないベースの、タメだけのリズム、綺麗な裏声、時にインチキな権威に吠えて、又は涅槃の快楽にたゆたう、あれ。このエロースな音楽。
みんなレゲエ=ロックステディを聴くの、毎日だったら、ぼくらのあいだはもっと親しみと慈悲と、許し愛に満ちるんだろうにね。ジョニーナッシュ、あなたの人生を祝福します。安らかに、ありがとう。
🎶 そうさ 痛みもなくなった 僕はやれる 暗い気持ちはすべて消え失せた
ずっと祈ってたのさ 虹がここにかかることを これからはいい天気
マーティーもエデイ好きなんだろな
Why walk on the wild side>ヴァンヘイレン>ユーリアリーガットミー> https://youtu.be/Bg1UG0GwIKc
長いこと音楽のこと書いてるとお悔やみばっかりになるな/俺も歳だな、老いてくな/エディはシリアスな曲でも笑っていていかがなもんかと思ったな/でも楽しそうで、ぎた弾きに嫉妬したな/ヴァンヘイレンって甲斐バンドみたいな名前だな/そういえばアルバム一枚通して聴いたことあったっけ?/デビッドリーロスのインテリマッチョぶりには一時こったな、ソロはよく聴いたな/ライトハンドって何やあれと思ってたけど今聴くと凄えな/ヴァンって野村義男だよな、逆か、とか、色々走馬灯
キンクスのライブ盤で、イントロ弾いて曲いかないっての、何度も繰り返すの、あったけど、あれ、本家が逆オマージュってかいじってたんだろな、喜び込めて。ええ話。
ロック史上最高のイントロ、リフ、音階上がるだけでサビまで持ってくこの気持ちよさ、再発見がデビュー作なんて、ヴァンヘイレン、イカシテタな。エディ、安らかに。あなたのギター人生を祝福します。ありがとう。
まるで営み
Why walk on the wild side>内田勘太郎>誰かが誰かを愛してる> https://youtu.be/G9e2BxruuV8
そうなんだ。全幅の信頼を置いている奇妙礼太郎くんの新譜は、勘太郎とのコラボ。で、当然、憂歌=ブルーズについての歌なんだけども、そうか、ブルーズって🎶こんにちは っていわれるもんなんじゃろか、と。日頃は忘れられてるもんなのかもね。
そう。ここでの文ももともとは”我々の内にあるブルーズ探訪
みたいな話だったんだが。気がつけば、わすれているなぁ。
2人の曲も良かったんだけど、ここは内田勘太郎さんのソロをサブスクで。
アコギ一本カバー集、なんだけどそこはやっぱ勘太郎さん。
スタンダードから寅さんのテーマ(直純!)までも。
一曲だけボーカル入りの教訓I にはいきなりの声にドギマギ。
そしてやっぱり曲の後半、アドリブになると、狂気のミシシッピー流ソロを
心おきなく披露してくれて。ああ、やっぱこのくんずほつれずに、震えが止まらんな。
ビートルズが教えてくれた
Why walk on the wild side>>ビートルズ>ストロベリーフィールズフォーエヴァー> https://youtu.be/HtUH9z_Oey8
あの人に。
🎶 僕の庭の木には 多分誰も近づいて来ない
多分それが 高すぎるか低すぎるから
多分これは 君には合わないってこと
でも大丈夫さ これも多分 そんなに悪くないからさ
ティーンの頃、僕は♪ストロベリーフィールズフォーエヴァーがとても怖かった
メトロトロンや逆回転、ノイズ、そういう“聴いたこともない、ポップソングの形をなさない”音のせいもあるんだろう、けど。
青盤、LPレコードの明朝体の歌詞カードを食い入るように読み耽りながら
どうしたってこれは、死ぬこと、それも自死に魅入られた人のことなんじゃないかと、うがていた。
今となっては、ダウナーなドラッグ体験の再現だとか、元祖中二病みたいな、万能感と裏腹の全てを手放す、みたいなカウンターカルチャの気分を代弁したと、まことしやかに解説できるんだけど。
ねえ、やっぱり、独りを感じてしまうことは、あるんだよな。あの人の理由は、わからないって。
そして、何か、例えばジョン、ポール、ジョージ、リンゴの声が浮かんで仕方ないことが。
なぜ、と何千回繰り返したってわからないんだろうと感じる、こんな夜には。
特に、ないこと
Why walk on the wild side>藤井風>特にない> https://youtu.be/VsmToj4IyPw
人を相手の専門職というの、やっているのだけれど、もうそっちの世界の常識には乗り切れないでいる。#現状維持バイアス とか #診療報酬点数 そんな言葉はどうでもいい。
以前誰彼に「俺は文学でいくよ」と宣言したことがあったっけ。何にも反応はなかった。意味がわからんかったんだろう。でもつまりそれはエビデンスとか言いながらそれぞれの人への架け橋をたたむ風潮みたいなのに嫌気がさしたからだった「信頼関係は必要ない」とかね。でも、あれからずいぶんたった。今はもうそんな風に“言い切った自分”が「何事もなしえない」ことへの恐怖、を感じている。
人は、間違いを犯すし、物事を知らないで生きていける。物語は変わっていくし、我慢は続かない。新しいことなんか始めたくないし、変われないと思っている。多分。
🎶心がもう気にしないって言っている
誰かこの尻を叩いて吹っ切れさせて
昔はおどっていたけどもうダメだ
今はもう足もなくしてしまった
誰か私にあの愛を取り戻して
そして、あるがままでいさせて
藤井風くんがこの曲に忍ばせた英語のリリック。ああ、そうだね。と素直に受け入れている自分を思う。そして、願わくばこんな風に人に語りたい、わたりたい、繋げたい。
それが、物語=文学的な何かを呼び起こすってやり方なんだろう。そうなんだろうな。
#ナラティブ